こどもが教師のいじめにたいしておもったこと

こどもが大いに気づいているおとなったあほなんだということ。

 

彼らの生まれ持つその好奇心は天性のものなのでおとなたちがそれを

自分たちの保身や利益の時にしようしようと躍起になった時に

その腐敗がはじまります。

 

天才的な才能をもつというような神童というものは存在していて

小さい頃にはそれはもう優遇されるのですが大人になってからの利権に関して

自分を守るすべを知らない人は得てして利用されてしまうわけです。

 

才能を持つ子どもは日本のシステム上それを活かしていくすべというものが

自己欺瞞という方法を取らざるを得ないという点で

 

ものすごいすべてをひねくれさせてくれます。

 

率直に思ったことを伝える方法を社会の中には持てないので

間違った方向に自分たちの才能を利用するわけです。

 

大人が理解し得ないほどの知識や知能にアクセスする方法を理解したこどもが

したことはDOSをつかってコンピューターをクラッシュさせたり

ハッキングの真似事をしたりドローン飛ばしてみたりなど

反社会的な行動ばかりなのですがそれはシンプルに居場所がない

という理由によるものでした。

 

この国はそもそもこどもを育てるつもりがないんじゃないかというほど

教育委員会制度というものは面白い構造をしているわけなんですけど

 

そういうものを変えるには文科省の役人が汚職をしたりするような

面白い時代にはなかなか難しいのではないかと思われます。

 

松下村塾の塾長は外国に行きたいがためだけにおもしろいことを

するわけなんですけどそののちのこどもらの偉業はそれはもう

歴史に轟くほどのことでした。

 

教師の威厳とは一体何なのでしょう。

アインシュタイン先生の言葉を引用するのであれば

 

正規の教育を受けて好奇心を失わない子供がいたら、それは奇跡だ。

It is a miracle that curiosity survives formal education.

 

ということなんでしょうか