ある青春時代にはよく
どうして生きているのか
どうして勉強するのかというようなことを人に聞くという
ことをしてしまうものでよくできた玄人はこの素人考えを
どのように一蹴すべきなのかみたいなことを考えているようだけれど
こんなものに対する答えは簡単で生きてみればいいし
勉強してみればいいのである。
ただ単に勉強したくないがゆえにこういう問いを持っているのであれば
そそくさと勉強などやめてしまうだろうし甘ったるい戯言か
言い訳をおそらく考えつくのだろうと思う。
意味ではお腹は膨れないのでそんなことをいつまでもしていると
天罰が下るのかもしれないけれど天性に持ち合わせた才覚などを得て
別の工夫や知恵を授かるのかもしれないが
好奇心に基づいて探求するという意味でそれはとても面白いもので
その事を知っているのは贅沢なことだというお話です。
言葉というものは面白いもので遊ぶという言葉の中には
あそ と ぶ というふうにも分けられるし
どうにでも変換できるのでまあ 言葉遊びのようなものですが
阿蘇というと 阿蘇山やら あその海やらその意味は山であり海であり
また これを外国に持っていくと 遊学というものに変わるわけでして
これは外国で学ぶという意味に変わるわけです。
勉強という強いられたものに勉めるよりむしろ
学び習うというその態度を心持ちにして
生きていくのを知るというのは趣があることなのですよ。